歩み(過去の日記2 2018年11月〜19年1月)




1月30日
 身体中の痛みが強く出ていると、連動して否定感情も出てくるし、当たり前だけど心身は繋がっていると分かります。それでも、そのまま淡々と過ごしていると、またいつの間にか、何もないそのままでいられる気楽な気持ちに戻っていて、その繰り返しの今です。その否定感情も、注ぎ込まれる沢山の人の無自覚の感情でもあるから、淡々と観察して、浄化して、そのままでだんだんとそれに引っ張られない力をつけていくだけです。
 昨日は、170℃と270℃を間違えて黒焦げクッキーが出来てしまったけど、辛うじて焦げてない真ん中のところだけにしたのを「おー意外に美味しい」と家族が食べてくれました。岩塩入りの全粒粉クッキーは、どんなだって美味しいです。




1月27日
 なぜ、そういう反応をするのか分からなくても、その反応が教えてくれることは、その原因を何となく感じることと、すぐそこから自由になる(必要以上に意識を向けない)ことが大切だと、経験から学びます。どんな反応にも原因があるから、それを思考で扱わなければ、それは自然に変化に乗っていくけれど、あれこれ考えてしまうと、動きが止まる原因になってしまう。いつも、やさしい想いが融合の主導権を握るのが本来。修正と浄化を、淡々と重ねていく。




1月22日
 なんでもないことなのですが、家族との会話で、ふと思いついたまま、そのままを言葉にできるようになってきていて、気持ちが気楽なので、出てくる言葉も気楽で、どーでもいいことをてきとーに話している自分が楽で、何か空気が平和です。普通の人からすれば、目が点になってしまう当たり前のことかもしれないですが、私にとっては、頭の中がいつも忙しくて、家族に対しても、何を言うか?言うべきでないか?と無意識に考えながらしか話せないのが普通だったので、いつの間にかそうではなくなってきているのが、なんだかほんわりうれしいです。
 岩塩が、非生命的なことを中和してしまうように、たとえ非生命的な中にいても、気持ちがそれに侵されず、どこか平和な気楽さをキープできていられれば、それはそのまま発する言葉や引き寄せる現実に繋がって、いろいろなことを中和してしまうのかな、と何となく思います。中途半端な健康ではなく、誰も何も言えないくらい健康になって、健康の原因を周りに振りまくくらいの自分を、生きていきたいなあ。




1月22日
 白玉粉と小麦胚芽の粉を半々に混ぜてお団子にして茹でた茶玉団子に、きなこ(てんさい糖と岩塩少々)をまぶしたおやつを、時々作ります。カンタンで、けっこう家族のお気に入りです。




1月22日
 みんなが、本来を生きられればそれでいいわけで、その本来の中に、自分が何でここにいて、何をするべきなのかも全部あるから、それをわざわざ考えることも不要で、その不要なことをさせようとする経験枠の中の価値観で、不要な感情も働いてしまう、と感じます。そして、それがヘビの原因であることも。人間本来は、無邪気な子供心そのままだと思うから、その上で、そうじゃない自分の感情があればそれを観察しながら、シンプルにみんなの中で自分が無理なく出来ることを、気楽に気負いなく楽しんでいければいいのかなと。




1月18日
 お料理って、本当はとてもシンプルで自然なことなんだなあと、ふと想います。たぶん、岩塩を摂り始めてからなのか、ふと気が付くと、食べたいなあ、美味しいなあ、というごく普通のことをふつうに感じている自分がいて、作る時も、自分も食べたいから作る、になっていて、作っている時も、食べている時も、何かうれしい気持ちがあります。それだから、今までと同じメニューでも、簡単なサラダでも、クッキーやパンを焼いても、なんか美味しくて、家族もそう感じてくれてるような気がします。ずっと、お料理に対して苦手意識があって、それは、頭がヘンで、たぶん食べることにあまり興味がなかったことと、主婦としての義務として、思考で作っていた事が大きいのかなと思います。
 岩塩でお料理を作るようになって、料理も頭の中も何かが変わってきて楽になって、シンプルになって、ただ食べたいな、美味しいな、という人間本来のごく普通の喜びみたいな感覚が、元気になってきたのかもしれません。何でも、楽しみながらって、基本なんだなと。




1月18日
 自宅で13年程使用していた蛍光灯(長いタイプ)が点灯しなくなってしまい、メーカーに電話してみたところ、蛍光灯の寿命は10年程なので、、、、と買い替えを勧められました。それで、LEDの光が苦手で、もし修理できるのであればそうして、大切に使い続けたいことを伝えてみたら、折り返しの電話で、(今回は特別に修理させていただきます)と、倉庫に保管されてあった新しい基盤を取り寄せて、付け替えをしてくれることになり、修理に来てくれた方が、(これで、また長く使えますよ)と。(作業時間もあっという間でした、、、)他にも2つ程、同じタイプの蛍光灯を使用していたので、今回のこともあり、別のメーカーに問い合わせしてみたところ、その商品の基盤の在庫は処分されてしまっていて、全てLEDに切り替わりました、とのことでした。10年程とされている従来の蛍光灯の寿命は、実質、基盤の寿命だということと、今回のように、メーカーがその商品の基盤を保管していてくれていれば、修理して、また長く使い続けることができることは、たまたま知った事実でした。
 もし、この事実が、消費者に広く周知されていて、どのメーカーも商品の基盤を長期に保管してくれていれば、もっと多くの人が、今まで使用していた従来の蛍光灯を使用し続けることができたのかな、と思うと、半強制的にLED化を進めようとするメーカー側の思惑も透けて見えるような気がします。
 海外では、家電製品でも、消費者の立場に立って同じ商品を長く作り続けていたり、長期間の商品のアフターサービスが徹底しているメーカーが普通にあって、そういうメーカーの存在は、消費者にとってはとても安心を感じられるものだと思います。でも、日本では、メーカー本位で事が進み、新商品にどんどん取って代わられて買い替えを煽り、売れればそれでいいというような優しさがない価値観が力を持っていて、LEDは、そういう下地があるからこそ、あっという間に広まった、ということも改めて認識させられます。日本独特の、その優しくない価値観が変わっていくことこそ、とても重要なことなのだと、今回の経験を通して感じます。




1月16日
 バスソルトを少し(大さじ1杯くらい)入れただけなのに、お風呂のお湯がまったり、トロ〜りと優しくなって、上がった後も、ずっと足や背中がポカポカしていることに驚きます。それで、朝、顔を洗う時に、洗面台にお湯をためて岩塩をひとつまみ入れてみたら、やっぱり優しいトロンとしたお湯で気持ちよくて、そのまま化粧水いらず。水が、一瞬にして変わるのが魔法みたいで面白いです。岩塩は、身体(地球)にとって不要なものを中和してしまう力がすごいんだなあと、水の変化を通しても実感します。




1月16日
 今朝、元気な太陽を感じながら、早足で、何か平和で軽い気持ちでほっとします。この時、浄化され出てくる体中の痛みと、どうしようもない暗い気持ちも、こうして過ぎてみるとその気持ちは、脳に入り込んでいるヘビの原因そのものだ、、、と、16日付けの無有日記に触れて思います。本来でない酸素やケイ素へ対処できる中で、自分の中の不穏な原因が次々と姿を現して浄化されていくことは、そしてそれが地球の元気に繋がっていくのならば、ほんとうにうれしいです。




1月12日
 誰かからの励ましや慰めを求めていない強い人は、どんな時も力強く表現することで、自分を励まし、見えない圧を振り切っている。自信がなくて、ヒクつになって、後ろ向きになることを何より喜ぶ存在の意思があることを分かっているから。誰かの力強い表現に、ホッとしたり、安心を感じている自分。力強さは、どんな否定感情も浮き上がらせて、でっかく包み込んでしまう。




1月10日
 身体の特に右側の、かかと、足首、膝、股関節、手指、手首、肘、そして肩、、、と関節全てが今までにない反応をしていて、それはかつての経験からのものなのかもしれないけれど、今、岩塩を摂るようになって、時々感じる胸の圧迫感と共に、右側の世界の相当なものが、自分の中から浄化されているように感じます。海の塩分の染み込みは半端なく、それをこんなに分かりやすく、根こそぎ、今この時に修正してくれている岩塩。日に日に、それも少しずつ落ち着いてきて、覆われかけても気楽な気持ちはすぐ復活して、元気に地球の望みに答えていく。




1月8日
 頭の中の静電気が、どれほど溜まりに溜まっていたかを、先日のワークを前後して出てくる身体の痛みが教えてくれます。負の影響を受けてしまうということは、負の影響を与えてしまっているということ。無意識という静電気が、自分の中から消えていく流れの中、それを阻止しようとする無意識の動きも、前よりずっと把握しやすく(パターン化していて)、だからこそ、何かが本気になってくるような気がします。




1月4日
 周りには静電気が飛び交っていて、それが、この時期に一気にスゴくなることをなんとなく体験的に知り、まるで、地磁気と静電気のバトルのよう。ここへきて、更なる痛みと物悲しい気持ちが出てきて、岩塩が、身体の中の海の塩と一緒に、より深くから外へと押し出してくれているのかな。よっしゃー、きっと細胞たちが元気になってきているに違いない。




1月1日
 3世帯同居の為、必然的に1日は、私の兄弟家族も集まってきて、1年に一度皆が顔を合わせる機会になります。未消化の感情をどうすることもできず、この機会がとても重荷になっていた今までがありますが、それも、いろいろなことが自然に流れて、気が付けば引っ張れることもなく、普通に穏やかにさらっと過ぎていきます。
 ここへ来て、私と距離を置こうとする人が分かりやすくなって楽になったり、表情が柔らかくなって自然に話しやすくなった人、すごく怖い顔になっている人、ふとした声が攻撃的で顕になってきた人などいろいろで、私が今いる環境は、社会のとても小さな縮図のようにも感じます。この一番身近な環境の中で、自然体で本来の普通を実践していくことの意味は、きっとずっと大きくて広くて深いことなのだろうなと感じられます。今居る場所で、楽しみながら、無理なく出来ることを成長させていきたいです。




1月1日
 31、1日と、朝からカラスが家の前に集まってきて、特に1日は、2羽、4羽、6羽とその数が増えて、バルコニーに出ると(ガルルル・・・)とこちらを威嚇するような鳴き方をします。何が何でもこの日を普通には過ごさせないというような、嫌われているのはよく分かったので、まあいいや、、、と気にしないで部屋の中で過ごしていたら、何度か来たり去ったりしながら、いつの間にかいなくなっていました。青空とピカピカの太陽の中で、カラスはやはり居心地悪そうです。一度、鳴き声がすごくてバスコニーに出た時、少し離れたもののなかなか去ろうとしないカラスと、私との間の電線に、どこからともなく3羽のハトが飛んできて、しばらく羽繕いしていてホッとして。今までも、何度かこんな光景がありました。優しいな。


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12月30日
 朝、いつも通り家を出て、それからずっと小走りしている自分に途中で気がつき、ニヤニヤ。今日も太陽の光がすごすぎて、丸の形が見えないくらい。茶目っ気一杯に遊んでいるみたいに想えて、子供みたいにワクワクしてくる。意味もなくワクワクしている感覚は、なんか優しくて平和。(無有日記を読んで、私もお昼に南の窓際に温度計を置いてみたら、やっぱり38℃!)




12月29日
 昨日のワークを経て、何かすごくホッとしていて、芯(安心)が強くなって、自らの分をまた新たな気持ちで、楽しみながら歩いていく、そんな想いにふんわり包まれているような感じがします。
 怖い、という感情が生じるその理由に触れられたことは、元気になってきた、その感情を知らない本来を力強く応援してくれて、溶けて、その普通が心ある優しい風景を引き寄せていくのかな。負の影響を受けたり、与えたりしなくてもいい、負の連鎖の終わりの始まり。岩塩も応援してくれている。なんだか、うれしいな。




12月25日
 4〜5日位前から、夜になっても頭がスッキリしていて早々に眠くならない状態が続いていて、10時まで起きているのがやっとだった自分には、今までかつてない経験です。そういえば、日中も眠くなりません。これが、本来の普通なのだろうから、今までどれだけ変な状態だったのだろうと思います。細胞が元気になってきているのかな。




12月25日
 先日の大阪ワークの日、お昼ご飯の準備をしている時、微妙に優しくない自分を感じて、それと同時にだんなさんの表情や言動もどことなく冷たく変わっていて、それによってまた私の不安を煽ろうとする力を、なんとなく感じることがありました。否定感情を持つこと自体、ありえないことだと感じられる本来の普通が元気になってきたから、今はそう仕向けようとする力も、なんとなく把握できます。どんな状況でも、淡々と自浄と修正を重ねながら、優しい風景の原因でいる。




12月24日
 何週間か前、歩いていると、お店の前などに塩が盛ってある光景が何度も目に入ってきて、(何故、塩?)と、今更ながら素朴な違和感を感じていました。岩塩の世界が始まって、海の塩が日本の歴史の中で重たい世界と繋がっているその理由も、知ることができる時なのかな。岩塩って、とてもまろやかで優しい味がすることを、初めて知りました。




12月24日
 友愛と調和の普通が、心ある人たちの中で元気になってきたら、その人たちを思い通りに操れなくなる、隔たりを当たり前とする不安、怯えそのものの人は、その姿を隠すことが出来なくなる。地球自然界の中で、その嘘や偽善は異物として、みんなに認識されるようになる。心優しい人たちは、元気に、ただその優しい想いを膨らませてどこまでもどこまでも、その想いは広がっていく。




12月21日
 毎朝、目が覚める度に、自分の中の何かが強くなっていて、何かが安定してきて日々の普通に溶けていきます。意識を向けさせられるような強力な何かも感じられるけど、それもだんだん平気になって、普通になって、また表現して。意味付けや、全ての経験から自由になって、素朴な感覚のまま、言葉も何でもいい。太陽の光に、全てを委ねて。




12月18日
 雲ひとつない青空の下、歩いていたら、寝巻き姿で裸足につっかけを履いたおばあさんが、お宅の前の道端で、通りすがりの近所の人と話している声が聞こえてきて、「今日は何曜日かもわからんけど、あんまりお天気が良くて、お日様に当たりたくなってねえ、、、」と、長いこと寝たきりで外に出ることもなかったような内容の話で、もしかしておばあさん元気になったんじゃないだろうか、、、と、歩きながら何度も何度も振り返ってしまいました。何日か前に、お茶していたら、お店の向かいのスーパーの店員さんが、「杖を忘れた方、いらっしゃいませんか〜」とキョロキョロしながら大きな声で杖を持って走って行って、見つからなかったのかそのまま帰ってくる姿を見て、(杖を忘れても気がつかないなんて???)と思った事を思い出して、気のせいかもしれないけれど、太陽が元気になるということは、こんな風にあちこちでいつの間にか元気になっている人がいるということなのかな、と思えて、そう思うだけでなんだかほんわりうれしくなります。




12月16日
 ある事(人)を変に意識したり、それに抵抗する時、頭が忙しくなって不安や怖れと、それと同時に身体の痛み(不調)が出てくることを度々経験します。けれど、不安になったり怖くなったり、それは本来ありえないことですごく変な事だと気がつきます。いつ、どんな時も、人は余裕と安心と優しい想いと共に日々を過ごすことが普通で、どんな人がいてもどんな環境にいてもその普通でいられたら、いろんな事(人)が変化に乗っていくんだなと思います。不安も怖れも痛み(不調)も、その人の優しい想いが癒していけるんだなと。それは、太陽が元気になっていくことと、月も地球も元気になっていくことと、全部繋がって一緒に流れていくことなんだなあと。




12月14日
 本来あるはずのない悲しみが外れて、導かれて見えてきた、隔たりの感情も、不安も、それに抵抗していたどっちかの自分。どっちかじゃなくて、本当はどっちでもあるそのままの自分でいて、どっちでもないところに居て癒される何かがあることを経験する。




12月13日
 考えないと、自分が消えてしまうように感じることがあります。とても楽で、とても大きな意思に自由に使われるような感覚。本当は、考えるのがものすごく苦手な自分を、取り戻していく。




12月13日
 生命の意思って、守ることなのかな、とふと想います。絶対に守らなくちゃいけないものを、ただ守っている。意識できないところで、守り続けている。みんなで守っている。




12月11日
 最近行くようになった喫茶店に入ると、その日は珍しく周りに何人もタバコを吸っている人がいて、なるべく端っこの席に座って(まあ、しょうがないか)と、気にしないでいたら、あっという間にお客さんが次々帰ってしまって、がら〜んと静かな誰もいない店内に。いつも混んでいるお店だから、珍しいなあと思いしばらくして、(あっそうか)と気がついて、カウンター越しにお店の人とLEDの話が出来て、「よく営業の電話がかかってくるけど、なんかおかしい、、、と思って断ってる。LEDにはしない」と話してくれて、フォトブックも渡せて話が終わった途端、ドドドーっと次々とお客さんが入って来て、あっという間に満席に。なんか面白い時間でした。




12月11日 
 人との差をいつも意識しつつ、優位な場所にいて安心を覚える、不安そのものの人。心優しい人はみんな、本当はただ優しい風景の原因でいたいと想っている。ずっとその世界にいたから、その不安を癒していける。




12月11日
 結婚記念日だから、家族の好きな全粒粉のイチゴのショートケーキを作って、「お父さん、ありがとー」って言ったら、「ああ」って照れくさそうにしていて、なんか優しい気持ち。




12月9日
 ふと、いつもの生活パターンを変えたいと思って、今まで家で過ごしていた時間帯に、外でゆっくりお茶をする時間を作ってみたら、何か楽で自由で解放されて、何も考えないリラックスした状態に慣れていくきっかけになりました。なんでもないことだけど、今まではなんでかそういう発想も持てなかったから、いろいろ自由に動けるようになってきて嬉しいな。




12月9日
 平和な気持ちでいて、のんびりしていると、カフェやレストランで満席なのに何か静かで居やすかったり、重たい感じの人がすぐ帰ってしまったり、目の前の子供が寝てしまったり、それだけじゃなくて、そんな気持ちで何にも考えないで街の雑踏の中を歩いていると、足の痛みが殆どなくてスタスタ歩けて、今までにない経験をします。
 頭の中が忙しい状態というのは、その自然な空間や細胞の変化(自浄力)を止めてしまうんだな。




12月9日
 思考のグルグルがなくなってきて、否定感情からも自由になってきて、経験や記憶からも自由でいて、自らの生命の意思に仕事をしてもらう。中庸でいて、出てくるもの、目の前の風景を感じている。




12月7日
 私は、今までいったい何を見て、何を感じていたのかな、、、と思います。伝わってくる、謙虚さ、優しさ、責任そのもの。それを感じられないどころか、時に怖さや不安を感じていた自分。絶対に繋がらせない、感じさせないような、それこそ鉛の覆いのようなものが、心に覆いかぶさっていたみたいに、、、
 「無有日記」や仲間のHPの文章に触れていると、内側からブルブルと震えのような、怯えているような、それに抵抗する反応が始まって、その後身体が熱くなって、、、を繰り返します。こうして、この日記を書いていても、その震えが内側で始まります。中庸、全体を嫌がっている異物。
 それでも日常では、だんなさんや父や母との何気ない会話が、自然で優しくなって、ぶつかってしまうような何かがなくなっているような気がします。それだけで、なんだかただうれしいです。
 ずっと見守ってくれて、付き合ってくれていた人たち。ここからまた、人間らしく歩んでいきます。




12月5日
 考えないでいられると、空間が優しくなる。「人間」のセンテンスが、全然違って入ってくる。全てを委ねて、漂っている。




12月4日
 何かをきっかけに、自分の中の自己顕示欲のようなものが、一気に出てきて暴走しようとすることがあります。今まで、何度も繰り返してきたことで、醜くて恥ずかしいけれど、自覚できていてもどうしようもできないものでもありました。情報に触れた時や、何かを思いついたりした時に、それを消化しないまま思考で流してしまう手前には、それがあるように感じます。けれど、隠そうとしなければ、要らないものは姿を現し、消えていきます。
 思考で書いた文章は、触れる人の思考を忙しくしてしまい、変化を止めてしまいます。感情が癒されていけば、出会う情報も、その時の反応も、それを伝える言葉も、自然でさりげないものになっていくのかなと思います。そうなっていきたいです。




12月2日
 ただ、安心に包まれていて、ただただ安心に包まれ続けていて、いつしか悲しみは安心して浮き上がり、それを阻止しようと何かが姿を現し、力を無くしていく。支えあって、補い合って、助け合って、それは生命の普通。自他の変化を止めてしまう、ずっとあった隔たり。何かが外れて、大切な何かと繋がって、気付けなかったことが、次々見えてくるみたい。
 中心が、力強くクルクル回っていて、その周りをみんなでクルクル回って、どんどんそれが広がっていく。そんなこれからなのかな。




11月30日
 先日のワークに前後して、様々な感情が今までになく大きく浮き上がり、消えていきます。特に、不安や隔たりの感情という抵抗が、自分の中でどうしようもなく姿を見せてしまったような、そんな感覚でもありました。
 ふてぶてしく、傲慢な弱い自分。どうしていいかわからなくて、不安をそのまま表現してしまう、その繰り返しをしている自分に気づきます。それだけ顕になっているということ。何も考えず、ただ漂っていたいです。



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